オウム真理教や旧統一教会に見られたように、テロ、カルト、詐欺、邪教などは、苦悩と恐怖と不安の中にいる人たちをうまく利用して金銭や労動力をだまし取り、私利私欲を貪る犯罪です。迷える人々を釣り上げるうたい文句に「真理」を使い回す事件が多々起きており、現代社会において「真理」という言葉ほど誤解されているものは他にありません。しかし逆に言うなら、日本国民に本当の宗教や本当の哲学を学んだ経験が浅く、真理の深い修養と理解が育っていないせいで、すぐに何かにつけてその弱みつけこまれてだまされがちなのであり、その弱点をまんまと狙って私腹を肥やそうとする欲得の輩(やから)が後を絶たないわけです。このように、真理を知らず、真理の自覚がないということは、反社会的勢力が跋扈(ばっこ)するのを野放しにして、いつまでも被害と犠牲のなくならない世の中にしてしまいます。昨今の、国民をないがしろにする政治や教育の問題もここに原因があり、いま世界中で起きている経済戦争も武力行使の戦争もみんな、真理がない事に起因するものだと私は思います。人間として生まれたのだから「人間が何か、いかに生きるべき者なのか」求めるのは、人らしい当然の要求なのであり、そういう必須の段階をすっ飛ばして、それがわからないまま大人になって済ませてしまっていては、人として人らしく生きる事はできず、人としての尊厳を何一つ主張できない生き方になり、そこには人の世の幸福も繁栄もあり得ないのです。そこに、よりよい新しい基本的人権を挽回して導いてくれるのが真理なのであって、私たち人類が今後も永続するためには真理を求める以外にはありません。昭和100年、やみくもに金銭を争い、万物万人の生命よりも各自のお金儲けばかり考えて率先するような、経済戦争社会ありきの時代はもう終わりにしなければ、人類が終わります。
三次元の物質世界に滞在する私たちの心には、常に自分さえよければいい、全体の幸せなんか考えたこともない、短絡的な競争社会の損得合戦にあおられながら、何かにつけて恐怖、憎悪、憤怒(ふんぬ)などの悪感情にかられやすく、すぐに私利私欲に陥(おちい)ってしまう課題を抱えているのであって、その未熟さ幼稚さから離脱して、自意識が成長するチャンスを自分から進んで捕まえにいくのでなくては、醜く凄惨な経済戦争に巻き込まれたまま、心ならずも苦しい非人間的な不幸な人生で終わってしまうのです。お金さえあればいいと言う、その貧相な低い心の精神性の思った通りに、着々と地球と世の中の万物万人を破壊して失う悲運を招き寄せています。それもその人たちの学習と言えば学習だと言えますが、そのための犠牲や被害の苦痛を、自分と自分の周囲に見境なく及ぼしてさんざんな目に遭わせておきながら、それでいいんだと開き直って満足する人はいないし、正気の沙汰ではありません。
物質世界に人間らしく生きて、物質的にも幸福な社会を築いてうまく物質の操縦をするには、物の次元(三次元)よりも高い次元の意識、高い精神性が要るのです。それが真理という人間性であり、非常に優れた高い精神性なのです。人間の幸福のためには物質を自由に思い通りに使いこなしてこそなのであって、お金や物に命令されてひざまずき、お金や物から奴隷のように抑圧され、恐れ、無理な我慢を強いられるようでは幸福な社会になりませんし、あろうことか人間なのに自分たちも物以下だと勘違いして錯覚して、人間を物以下だと思い込んで自分も他人も物よりも下に扱って、人の意識も心も精神性も、物の世界の低次元レベルよりも下に落としてしまい、物の世界の感覚に支配されて縛られてしまうと、人の精神性は成長する事をやめてしまって、不幸と表裏一体の果てしない肉欲、物欲、私利私欲の地位と名声に執着する、人間を物以下に始末する低次元社会に住むことになります。これが、自己否定の装置である経済戦争の惨状なのであり、それを意識の上で早いとこ離別して決別してしまい、人間を物扱いする低次元社会との因縁を越えて、新しい幸福の次元に超脱するには、もっと人間らしい高い精神性を自分に育むことが必要で、それを可能にするのが真理です。動物的な弱肉強食と言われる精神性の低い社会にありながらも、その騒がしく幼稚で未成熟な損得合戦の影響を全く受けず、その愚かしく見苦しい醜い戦争に参加する事もなく、人としての本当の幸福を謳歌して、充実した感謝と祝福の毎日を生きるには、そのためには真理を学んで、自己の日々の意識も精神性も高め上げる事が必要で、そうした人が増加してゆくことによってしか、人は人になって人の心を持ってしか、めいめいの人生とこの世を明るく幸せで平和にすることはできません。心が全ての全てなのです。
例えばお金の話をすれば、お金なんてただの紙切れですけどね、そのお金さえあれば「バラ色だ」みたいに子供の時から洗脳され、お金さえあればそれでよくて、お金さえ儲けたら何でも解決すると言う幻想を子供の時から心に植えつけられたら、その人たちの家庭、学校、職場、国はもう、人間性を二の次三の次にしてしまう、真理を欠いた、とことん人間性の下落した低次元の世界を作り、現代社会のような、事件や犯罪は絶え間なく、人災や天災の大規模な地球危機と叫ばれる環境破壊にまで至ってしまいます。この地上の歴史でこうした私利私欲の盛んな文明は何度となく滅んできたはずです。人間が人間性を持たないなら、それは人間ではなくなるという、超が付くほどの自己否定、人間否定、人類否定なのですから、そういった勢力なり、体制なり、既得権益にしがみついて争い奪い合う事は、全部が全部、今後の破綻と破滅は避けられず、雲散霧消(うんさんむしょう)して水泡に帰(き)す運命を招きます。このように、自分のお金儲け以外の事はどうなってもよいし、他人を押しのけて我先にお金さえ取れば他に何も考えなくてよいというのは、今や、誰にでも簡単に、もっともたやすくできる自己否定、人間否定、人類否定なのであって、つまり、経済戦争社会が優先される世界情勢というものは、人間社会を否定して破壊したい、その激しい苦痛を味わうために作った、一種マゾヒスティックな装置だと言えます。この世の多くの人は、自分または人間同士がいかに幼稚で愚かで不完全かという事を毎時間でも更新して心に印象付けており、深層意識ではその事を非常に憎んでおり、心の底では許しがたい罪人だと見ています。そして、罪人である自分の悪感情の積み重なる悪業をしっかりとつぶさに見定めており、決して見逃すことなく、きちっと厳しくつぐなわせようと、自分を苦しめる刑の執行のために囚人みたいな人生を選んで生きているのです。自分をどんな目に遭わせたっていい受難礼賛の、自分をみじめにしたくて、この世の大勢が恥のかき捨てみたいな人生にしてしまっていると私は考えます。実は現代はそういう「自己否定のなれの果て文明」なのであって、とにかくすきあらば自分をとっちめて罰したい。お金を使うのは本当は私たちの人間性なのであって、お金は万物万人が幸せになる、そのための道具のはずです。しかし自分の人間性がなければ、逆にお金にこき使われる、お金のためだったら万物万人を傷つけるような、人でなしのような行為もできる。お金を非人間的な社会にするための凶器に使ってしまい、お金のせいで人間らしくできないで、お金で人間らしくできないくらい自分をみじめなものにしてしまっていることは、本末転倒なのであり、こんな事ではいつこの世が終わったって仕方がない、申し開きなど一つもできない、人として面目丸つぶれの、自分を否定して殺してしまう自殺に等しい生活なのです。そういう、お金よりもうんと身分が低い、お金にひざまずくあわれな奴隷みたいな、クズやゴミみたいな価値のない自分にしておいてつらいつらいと悲しみ、「自己をあわれむ刑」をどんどん執行するには、できるだけ不幸な目にたくさん遭わせて思い切りダメな自分にして罰したいし、罰している否定の極みなんです、今の経済戦争社会は。
だからかえってお金によって、人類は豊かになるどころか、ますます衣食住も生産も不自由になり、不便になり、争いも激化して、自然からの恵みは薄まり、人為的な汚染も加わり、暮らしの質も悪くなっていって、貧相になって、地球全体を荒廃させ、生き物も次々と姿を消す始末です。真理を自覚しないために、人類否定の潜在意識が増長し、罪人にふさわしい不幸へ仕向けるからです。
このように、真理を知らないで自己否定になっている人たちは、何でも自分を傷つけてあわれむための、自傷行為の道具にしたがるのであって、自分を罰したいのですから、それが地上のほとんど大勢になってしまうと、お金の利益の取り合いですぐに戦争が起こるし、人災も天災もきりがないくらい起こるし、不幸な事ばかり地上に蔓延させてしまう。自分を罰してたくさん絶望して悲しみ苦しむためです。そこまで自分を罰して虐(しいた)げなければならなくなっている、その無明の深層意識に光を差し込ませるのは、本物の素晴らしい自分、本物の偉大な人間の事を教えてくれる真理しかありません。素晴らしいのにその素晴らしさを知らないまま鬱屈(うっくつ)してふさぎこんで、素晴らしく偉大な自分に対して祝福も感謝もできず、肯定すら一つもできていない。こんな心、これを無明(むみょう)と言い、自分で本来の自分を殺してしまって、自分を生かさない心なのであって、それが大勢集まって暗い世迷いごとの無明の世界を作っています。無明の世界にこだわり住むことは、それは共有する悪夢みたいなもので、人生の暗闇から目覚めたくない人たちです。幸せな地球環境に住む自己実現へと進むため、自分の心の次元を高め上げるには、そこに真理の光明を心に差し込ませて明るくする必要があるのです。だから、本来の自分を見失って自分をさげすんでいる、苦しくつらい無明は、無明のためにあるのではなく、その苦しみ悲しみの逆境の闇を消し去るために、人類は真理の光を獲得しなければならない。そのためにこの世での人生があり、その事が本当の人生の唯一の目的だと言ってよいと私は思う。真理が新しい人生の出発となって、新しい知恵や愛、新しい生命力や様々な供給にも恵まれて、困難な現状も難なく突破して乗り越えられるので、今まで自分が萎縮して停滞して凍えていた無明の世界の暗さとは縁が切れてしまい、人生の悪夢は跡形もなく消え去ります。
人は心で生きています。自分の心の中の様子が全部人生に、世の中にと、投影していきます。心の中の事が言動や行動となって出てその人の心の通りの運命に決定してしまいます。自分の人生と自分の社会環境に幸福と繁栄を映し出して見せるためには、真理を知って真理を自覚する以外にはありません。真理を知らず、真理を自覚しない、その無知・無責任は、常に自分が何をしているのかわかっていない、夢現(ゆめうつつ)の夢遊病に等しく、人災・天災を招き寄せて、世界中の破綻と破壊に手を貸す、虚妄(こもう)・迷妄(めいもう)・顛倒妄想(てんどうもうそう)にさまよう無明の世界です。これからも多大な被害と犠牲を繰り返し、絶望的な状況は避けられません。真理を知らないでいる事は、人間なのに人間の事を知らないでいる、自己否定・人間否定だからです。自分を否定する者だけが否定される状況を招くのです。このような、自分の無知・無明から起きてくる不幸の因果律(いんがりつ)を、延々と果たさねばならない激しい苦痛は大へん不本意な、不幸せな苦痛なのですから、本心から誰も望む人などないのに、世の中の大勢は今、錯覚と誤解の思い込みで繰り広げられる悪夢の人生観・世界観にさまよってうなされています。
起死回生、悪夢から目覚めて自分の人生を奪還する、そのためには、どうしても真理を知り、人それぞれの個性は神の真理の通路であり、真理の輝きを映すための自分が神の窓口であり、そのために生まれた事を誰もが厚い信条としなければなりません。これは、幸福と繁栄のために私たちがいる事を認める、列記とした最高の自己肯定です。完全完璧に自分を肯定できてこそ、雲一つない晴天のような、人は生まれて初めて幸せな意識となり、自分の心境がそうなってこそ、その通りの幸福な現実が映し出されてきます。個人個人の、真理による光明波動が世界中の幸福と平和に直結します。
真理とは何か、私たちの全員の、万物万人が神の子仏の子であり、すでに神の世界の幸福と繁栄に住んで生きているという事実です。その事を本当に確かな事実・真実・現実として自覚せずにいては、自分がいるこの世も、自分の生きている人生も、まったくそうならないで、ことごとく不完全で不調和な、むごたらしい不幸ばかりを人類規模で大勢が繰り返すはめになります。
谷口雅春ら世界を代表する光明思想家の説くところの、真理の人間性(神性・仏性)を獲得する事をさしおいて、その人間性が自分の中で成長しないばかりに、肉欲・物欲・金欲・奪い取った既得権益の地位保身欲や、早く銅像でも建ててほしいと言う名声欲といった、人間性の代わりに動物面の獣欲に順位を譲って支配されて乗っ取られた、精神性の低迷こそが、人の世であって人の世ではない、争い合う殺し合うおぞましいケダモノの世の中にしています。人間性の本性・本質が神の子仏の子であり、いくら真善美の神の窓口だと言ったって、今のままでは、せっかく持たされて授かっている本当の愛や知恵や生命力をみじんも発揮できず、神からの無限の供給も拒否して枯渇したストップの状態です、なぜなら、人になっていないのだからそうなる。真理がないと人にならないのだから、その真理が信念になっていないと、悪夢を見続けるより他に仕方がない、業の深い深い人たちが世界中に右往左往、大勢いるわけです。地球は今、その人たちがいかにして真理を学んでいくか、いかにして真理に目覚めていくのか、その段取りも地球の大事な使命でありお役目であるから、これも地球が抱えたもっとも重要な課題の一つです。その事に貢献することが本当のリーダーシップなのであり、たとえ世間の広く知るところでなくても、心の光明波動を使える人たちの活動こそ何よりも望まれています。つまり、まず、何よりも、人は自分の心でこの世の全てを作ってるんですから、まずはその自覚を明確にもって、自分の心の窓口から神の光明、真理の太陽を輝かせる、太陽のような真理の輝く、そういう心の光を持った人が増えていくことが何よりも望ましい。
私たちはまず何よりも真理を知らなければならない。そして、真理を深く自覚しなければならない。真理を知らなければ、真理をふまえて真理を要(かなめ)としなければ、これまでのいかなる人智も技術も文化も万物万人を生かすことにはならず、今世紀は何もかも破綻し、すたれて滅んでしまう時代になる。真理とは、人間の真実であり、真相であり、それを知ることで幸福になる、人間にとってかけがえない幸福の源泉です。林竹二、福岡正信、谷口雅春は、真理を普及させようとした現代の三大聖人だと私は思います。その道を受け継ぐ光明思想家として、詩と寓話と論説などを通じ、私も自分なりに真理をこれからも世の中に発信していきたいと思います。
令和7年2月 山崎加杜矢